自然と芸術
- 2018/04/14
- 20:16
家の前に奇妙な木製品を並べているが、家人の評判はすこぶる悪い。ゴミ扱いだね。しかし庭から掘り出してきた木片でも、何らかの芸術的感動を与えるのだから、美は完全に個人の意識に含まれる。少なくともゴミは自分のことを芸術として意識していない。あるいは山河といった自然物でも良いが、美しいと感じるかどうかは個人によって異なる。多くの人が美しいと感じる物を芸術と呼ぶが、所詮はゴミと同列でなければならない。そう...
何に見える?
- 2017/11/15
- 17:38

何に見える?剪定枝の断面が真っ黒だったので、目鼻を入れてみました。顔に見えるとすれば錯覚ですが、古典的な祈りも連想されます。錯覚以外に美はないという考え方もありますが、錯覚を生み出す技も必要と言えそうです。...
写真家?
- 2017/11/14
- 14:31

おもちゃのカメラを買ってもらったのは小学生だったと思う。もちろんモノクロの単眼。半世紀ほど撮り続けているが、写真家になろうと思ったことはない。できれば記憶だけで済ませたいと思うし、いわゆる美しい映像は好まない。これでもかという主張が透けて見えるようになると、流行のインスタグラムにはアレルギーが出そう。それでも何となく残したくなる構図があるから、今でもカメラを持っている。たとえ気合いを入れて撮って...
柿の葉
- 2017/11/09
- 20:29

写真はヒラタネナシという干し柿用の栽培種。もちろん渋柿なので生食は無理。だいたい絵に登場する柿は葉が落ちて幾つか実が残っていれば良いというのが定石だろう。ところが農家に聞くと先に葉が落ちるのは病理的なもので、最後まで葉が残っている方が美味しいと言う。葉がなくなれば光合成もできないから、糖度が上がらないのは当然の結論かもしれない。でも葉も実も群生している状態だと絵画の題材にならないのだろう。少なく...
縄文の鬼
- 2017/10/31
- 17:11

鬼という文字の初出は魏志倭人伝だろう。卑弥呼の鬼道。ただ古墳時代までの日本にオニが居た確証はなく、アイヌや沖縄の伝承あるいは説話には登場しないようだ。アイヌには神と悪神はいるがオニはいなかった。少なくとも神謡集といった物には含まれていないし、萱野茂の辞書でもnikne-kamuyというユカラの用例しか出て来ない。ニクネはウェインと同じ「悪い」という意味で、神の一種と認識されていた。縄文人が考えたとすれば、...